横浜地方裁判所 昭和37年(ヨ)415号 判決 1963年4月22日
申請人 出浦速雄
被申請人 日平産業株式会社
主文
申請人の申請を棄却する。
訴訟費用は申請人の負担とする。
事実
(当事者の申立)
申請人訴訟代理人は「被申請人が昭和三七年六月二九日申請人に対しなした解雇の意思表示は、仮りにその効力を停止する。被申請人は申請人に対し昭和三七年八月一日以降本案判決確定に至るまで毎月五日限り金二万円を仮りに支払え。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
(当事者の主張)
申請人訴訟代理人は、申請の理由として
「一、被申請人は、肩書地に本店を置き、横浜市金沢区堀口百二十番地に工場を持つ従業員約千名の研磨機等の製造販売を目的とする株式会社であり、
申請人は、昭和三十二年一月二十三日被申請人会社に期間二ケ月、日給五百三十円の約により右工場の臨時工として採用され、同年三月、五月、七月の各二十二日にそれぞれ期間を更新された上、同年九月二十一日同工場の本工として採用されたものである。
二、然るところ、被申請人は、昭和三十七年六月二十九日申請人に対し、申請人には被申請人会社就業規則第五十一条第四号(経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの)に該当する行為があつたとして懲戒解雇の意思表示をした。
三、しかしながら、被申請人の右懲戒解雇の意思表示は次の事由によつて無効である。
(一) 〔就業規則適用の誤り―その一〕
(1) 被申請人の説明によると、申請人が昭和三十二年一月二十三日被申請人会社(以下単に会社ともいう。)に臨時工として採用されるにあたり会社に提出した履歴書中に詐りがあり、これが就業規則第五十一条第四号にいう経歴詐称に該当するというのである。
(2) なるほど、会社就業規則第五十一条第四号は、「経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの」については懲戒解雇処分を規定しており、申請人が臨時工として採用されるにあたり提出した履歴書中には申請人が昭和十九年四月一日から昭和二十五年十月二十八日まで日本鋼管鶴見造船所に旋盤工として働いていた事実を記載してなく、その間は青木製作所その他の工場に働いていたように記載されていることは事実である。
(3) しかし、右履歴書提出は昭和三十二年一月二十三日申請人が臨時工として採用されるに際してだけのことであり、同年九月二十一日本工として採用されるにあたつては会社に対し履歴書を提出した事実は全くない。被申請人としては申請人の臨時工としての期間を三回も更新して申請人の技能経験並びに人格を十分確かめ得たので、その職歴等をあらためて問うまでもなく、申請人を本工に採用したのである。
(4) したがつて、申請人が被申請人と雇傭関係にあるのは、右昭和三十二年九月二十一日の労働契約によるのであるが、この際には申請人は経歴詐称をした事実はないのである。
よつて、被申請人の言渡した経歴詐称による本件懲戒解雇は就業規則の適用を誤つた無効のものというべきである。
(二) 〔就業規則適用の誤り―その二〕
次に、近代的労働における労使関係は、家族友人間のそれの如く全人格的な信頼関係によつて結ばれたものではなく、労働力の売買を中心として結ばれたものであるから、使用者が自ら採用しようとする労働者の職歴調査をするにあたつてもその目的は労働者の技能経験を確かめ、その採否を決し、かつ採用後の労働者の配置と労働生産性の合理化を図るにあるというべく、したがつて労働者が経歴詐称をした場合にも経歴詐称の持つ不信義性が抽象的に問題とされるわけではなく、その経歴詐称が労働力の評価及びその採否の決定に及ぼす影響のみが問題となるのである。
したがつて、労働力の評価及びその採否の決定に影響を及ぼさぬような経歴詐称は懲戒解雇事由に該らないと解すべきであり、これを本件につき検討するのに、申請人は前記のとおり臨時工として採用されるにあたり昭和十九年四月一日から昭和二十五年十月二十八日までの間日本鋼管鶴見造船所に旋盤工として働いていた事実を祕匿し、履歴書にはその間青木製作所その他の工場に働いていた旨記載した事実はあるが、被申請人が求めていたのは旋盤工としての労働力であつたのであるから、その経験年数が真実と合致している以上その勤務場所がどこであろうと影響のある筈はなく、かえつて申請人が履歴書に記載した工場より名の知れた大工場で働いた経験者であつたということは被申請人の企業にとつて利益であつたというべきである。また、被申請人は申請人を臨時工として採用後、実地にその技倆を試験するため八ケ月の長きに亘つて臨時工のまま働かせ、その結果申請人の技能経験を認めて本工として採用したのである。その間被申請人が右履歴書中に書かれている申請人の従前の勤務場所に問い合せるなどして自らその調査をなすことはきわめて容易であつたのにこれをなさずにいたことは、そのこと自体被申請人が申請人を本工として採用する当時従前の勤務場所の如きを何ら問題としていなかつたことを示している。
したがつて、本件において申請人のなした経歴詐称が申請人の労働力に対する被申請人の評価を誤らせたとか企業の運営に支障を与えたとかいう事実はなく、またその危険性もなかつたのである。
よつて、申請人は就業規則第五一条第四号にいわゆる「経歴詐称その他不正手段によつて入社したるもの」に該当せず、本件懲戒解雇は右就業規則の適用を誤つた無効のものというべきである。
(三) 〔憲法第十九条、労働基準法第三条違反〕
被申請人は、申請人の経歴詐称を理由に本件懲戒解雇をなしたが、右経歴詐称というのは解雇の口実にすぎず、その真意は申請人が共産主義者若しくはその同調者であることにある。この間の事情は、本件解雇に至るまでの次の経過からも明かである。即ち、
(1) 申請人は、昭和三十七年四月五日頃就業時間前に脱衣場のところで日平細胞発行名義の「火花」という新聞の号外一枚を同僚の四、五人に見せた。
(2) ところが、同月二十七日申請人は会社の労務課に呼ばれ、右四月五日のことについて、その新聞は誰が発行し、どこで印刷しているかなどについてきびしい取調を受けた。これに対し申請人が回答を拒否し、何の答えもしなかつたところ、労務部長らは更に翌二十八日にも申請人を呼び同様の質問を続け、申請人がその返答をしないでいると、申請人から始末書を取つた上十日間の出勤停止を命じた。
(3) 他方、申請人の所属する日本労働組合総同盟全国金属労働組合神奈川金属労働組合日平産業支部(以下組合という。)と会社との間には同年三月頃から賃上問題について交渉が行なわれ、その結果同年四月下旬平均昇給二千百四十円、その実施要領は全員一率分と査定により行うものとに分れ、査定分については昭和三十六年三月二十一日より昭和三十七年三月二十日までの各自の勤怠成績によつて行うこと等を定めた賃上げの協定が成立した。而して同年五月二十日頃申請人に対しては一ケ月約八百円の昇給となる計算の辞令が交付されたが、これは平均より遙かに少ない昇給であつたので、申請人は所属長を通じて右査定につき質問したところ、前記出勤停止を受けたことが査定に影響しているとのことであつた。しかし、協定で定められた査定期間以外の事実をあげて査定することは納得できないので、申請人は組合の苦情処理委員会に苦情の申立をした。その後苦情処理委員会の決定を組合側委員に聞いたところ、申請人のあげた理由は取り上げられなかつたが、組合側の要請を会社側が容れて昇給額千六百円ということに辞令は変更され、同年五月下旬申請人に対し右訂正にかかる辞令が交付された。
(4) かかる経緯ののち、昭和三十七年六月二十五日申請人は突然労務課に呼ばれ、労務部長、労務課長その他より申請人が昭和三十二年一月臨時工として採用されるにあたり会社に提出した履歴書に詐りがないかと質問されたので、卒直に詐りのあることを認めたが、労務部長は申請人に対し退職を勧告した。而して申請人は同日から同月二十九日までの間連日会社側から強く退職要求を受けたが、これを拒否していたところ、同月二十九日会社は申請人に対し懲戒解雇の言渡をした。
(5) 要するに、以上の経過からも明らかなように、被申請人は申請人が昭和三十七年四月五日同僚に日本共産党の細胞新聞「火花」を見せたことを聞いて申請人が日本共産党員もしくはその同調者であることを知り、申請人を会社から排除しようとしたのである。而して、まず同年四月二十八日申請人に対し不当な出勤停止十日間の処分に付した上、更に協定に違反して昇給額につき不当な差別をつけようとした。しかしながら、就業規則第五十一条第十三号が会社の敷地内で印刷物を頒布することを禁じているのは表現の自由を犯すものであり、また労働者の団結権を侵害するものである。また申請人は前記「火花」号外を一、二の人に見せただけで頒布をした事実もない。次いで、他方では申請人の身辺につき特別な調査をなした結果、申請人が昭和二五年十月日本鋼管鶴見造船所をレッド・パージされたことを発見するや、申請人が臨時工採用時に提出した履歴書中に右鶴見造船所勤務の事実が記載されていないことを口実にして、経歴詐称の名の下に申請人をその抱く思想の故に懲戒解雇にしたのである。
(6) 因みに、被申請人はその企業から共産主義的思想を排除することにきわめて熱心であるという事実がある。例えば、昭和三六年十月臨時工約六〇名を本採用するに当り、被申請人は各人より誓約書を差し入れさせたが、その内容は共産党又は共産主義的団体に参加した事実のないこと、将来も参加しないこと、万一参加した場合には責任をとつて退職することを誓約するというのである。また、被申請人は昭和三七年一、二月頃見習工約百名を集めて就業時間中に講演会を開いたが、そのなかで共産党ないし左翼的団体に対する排撃を強く訴えた事実もある。昭和三七年五月一日のメーデーの折申請人が会社にもよく顔の知られている共産党の人と一緒に歩いているのを会社の労務係に見られ、その労務係の人から申請人はその共産党員とどういう関係にあるのかまたその時どこに行つたのかなどについて執拗に質問された事実がある。更には本件解雇後申請人を守る会というのができたが、その会にわずかな金をカンパした人を会社の労務係が呼びつけて「そういう団体に係わりを持つことは君自身のためにならんから」といつて脅した事実もある。これらのことを綜合すれば、被申請人が申請人を解雇したのは、申請人が共産主義的思想の持主であることが決定的原因であつて、経歴詐称は口実にすぎないことが明らかである。
(7) 而して、このように申請人をその共産主義的思想の故に解雇することは憲法第一九条の思想の自由を犯すものであり、民法第九〇条によりそのような解雇は無効であり、またこれは労働基準法第三条にも違反する無効な解雇である。
(四) 〔職業安定法第三条、労働基準法第二二条第三項の法意とのてい触〕
なお、レッド・パージを受けたことを秘匿していた点につき言及するのに、使用者の立場からすれば労働者が組合活動を活発に行つたとかレッド・パージを受けたということはその採否を決定するにつき主観的にはおそらく最も重要な事項に違いないが、この種の事柄を労働者の採否決定の資料としてもよいかどうかは問題である。職業安定法第三条は「何人も人種、信条、従前の職業、労働組合の組合員等であること等を理由として職業紹介等について差別的取扱を受けることがない」旨規定し、また労働基準法第二二条第三項は「使用者は、予め第三者と謀り、労働者の就業を妨げることを目的として、労働者の国籍、信条、社会的身分若しくは労働組合運動に関する通信をし、又は第一項の証明書に秘密の記号を記入してはならない。」と規定している。これらの規定は世界の労働運動のうちで生み出された組合活動や政治的信条の故に労働者の糧道を絶つような忌むべき使用者の妨害行為を違法と評価する法意に基づくものである。そうだとすると、組合活動や政治的活動についてしか意味を持たないような事柄は調査の対象とすべきでなく、かかる事実の詐称は解雇を決定する価値判断に加えてはならないということがいえるのである。
(五) 〔処分の過重性〕
仮りに、申請人の前記経歴詐称が懲戒に値するものであるとしても、会社就業規則で懲戒処分に解雇、出勤停止、減給等の段階を設けている以上、被申請人は具体的事情に即して客観的妥当性のある処分を選択する義務を負わされていると解すべきであるが、申請人の経歴詐称については次の如き事情がある。
(1) 申請人は昭和一九年三月横浜市内にある小学校を卒業してすぐ日本鋼管鶴見造船所に工員として入り、以来旋盤工として働いていたが、昭和二五年一〇月占領軍の命令に基づく赤色分子追放の大量解雇があつた際、共産主義者若しくはその同調者に該当するものとして解雇された。申請人は、その前後約三年間胸を患つて療養していたが、昭和二八年六月病気も直つたので就職しようとしたが、履歴書中に鶴見造船所に勤務していたことを書いたため、問い合せによつてレッド・パージのことが判つて採用されなかつたことがあり、同年八月漸くレッド・パージされた人達が沢山働いていることでかなり知られている株式会社佐伯精機に入り、昭和三一年四月頃まで働いていたが、同社の経営不振により同年四月そこを退職して町工場である西野製作所に入り、昭和三二年一月まで働いたが、安定した生活を求めて職業安定所に就職の申込をした結果、同年一月被申請人会社を紹介された。しかし申請人は過去の苦い経験からその際鶴見造船所にいたことと佐伯精機にいたことを隠し、その間他の会社にいたこととして職歴を詐つた。しかしながら、日本国憲法第一四条は人種、信条等により社会的関係において差別されないと規定し、これを受けて労働基準法第三条は、使用者は労働者の信条等を理由として労働条件について差別的取扱いをしてはならないと規定している。したがつて、マッカーサー最高司令官の命令に基づいて行われたレッド・パージはこれらの規定に反して行われた本来なら違法なものであるが、以来今日に至るまでレッド・パージ者は使用者によつて白眼視され、その採用を拒否されるといつた不当な措置が執られている。申請人が職歴を詐つたのもこのような不当な処置から身を守り生活を維持していくため止むを得ず採つた手段である。
(2) 更に申請人は昭和三二年一月二一日より約五年半の長きに亘つて真面目に働き、被申請人の行う企業の生産性向上に寄与してきたが、このように労働者が長年無事に勤務してきた場合には今更経歴詐称を実質的に問題とする実益はなくなつていることが多いし他面時効制度的な考え方からいつても長年無事に勤務してきたものに対して採用時の経歴詐称をことさらに取り上げて処分するのは妥当性を欠くということができる。
(3) 更にまた、被申請人が申請人の信義違反を問うからには会社も亦、労働者に約束したことを誠実に履行し、信義性に欠けることがなかつたという事実の存在を必要とする。会社が労働者に対してなした約束をたやすく破りながら、労働者に対してのみ完全な誠実性を要求することは信義則からいつても許されない。ところが、被申請人は、組合との間に昭和三四年頃臨時工を本工にするための協定を結び、臨時工は採用と同時に傭員とし半年経つとこれを試験し、合格者は雇員とする。雇員は半年経つと更に試験して合格者は本工とすることを約束した。然るに、会社は、右協定による試験を一、二回やつただけで、臨時工を本工とするための処置を長いこと放置した。これは会社の労働者に対する約束違反であり、信義違反である。その他にも会社の信義違反の事実がある。このように会社自身が労働者に対して信頼関係を裏切るようなことを平気で行いながら、労働者に対してのみ完璧な信義を求め、その違反に対しては厳重な処分をもつて臨むことは不当である。
(4) 以上の諸事情を考慮するならば、例え申請人に就業規則第五一条第四号違反の事実が認められるとしても、これに対し懲戒解雇を命ずることは重きに失し、同規則第五十一条本文但書による出勤停止等の処分に止めるのが妥当である。よつて、本件懲戒解雇処分には就業規則の適用において客観的妥当性を欠く違法があり、この点においても右処分は無効である。
四、申請人は、昭和三十七年四月分の給料として二万四千三百三十二円を、同年五月分の給料として二万一千二百四十五円を、また同年六月分の給料として二万三百五十九円を得ており、被申請人会社においては給料は毎月二六日と翌月五日の二回に分けて支払われている。
五、ところで、申請人は目下解雇無効確認の本訴を提起すべく準備中であるが、本訴判決確定までには長日月を要するし、その間給料を受けられないことは財産のない一介の労働者である申請人にとつて回復しがたい損失である。
なお、被申請人の(五)の主張事実中(1)、(2)、(3)の事実は認める。(4)の池上大塚工場に勤務していなかつたことは認めるが、同工場は実在していたものである。また、(六)の主張事実中予告手当の提供並びに拒絶の事実及び平均賃金の額はいずれも認める。」
と述べた。
被申請人訴訟代理人は、答弁として「申請人の主張事実中一の事実については申請人が臨時雇員として採用された時の日給額を除き(日給は五百十円であつた。)、その余の事実は認める。なお、被申請人会社においては本採用の従業員を社員、いわゆる臨時工を臨時雇員と称し、昭和三五年一〇月以降は雇員、傭員の別を設けている。二の事実は認める。三の(一)の事実については、(1)、(2)の事実は認めるが、(3)の事実を争う。被申請人会社においては臨時工として採用されるときに提出した履歴書が社員として採用される際にも選考の資料の一つにされているのであるから、申請人が社員に採用されるにあたり、再度履歴書を提出しないからといつて、経歴を詐称し、不正手段を弄した事実は何ら否定されるものではない。申請人の論は全くの詭弁である。よつて、(4)の事実は争う。三の(二)の事実も争う。申請人の主張は労使間の信頼関係あるいは企業秩序についての顧慮を欠いた主張であるという外なく、到底首肯し得ないところである。従業員の採否は全人格的判断の上になされるものであり、単に提供さるべき労働のみに着眼してなされるものではない。三の(三)の事実については(1)の事実は認める。但し、昭和三七年四月五日頃とあるのは同年四月四日である。(2)の事実中、四月二七日労務部長らが申請人を呼んだこと及び同月二八日労務部長が申請人を呼んで始末書を徴した上一〇日間の出勤停止処分を告げたことは認めるが、その余の事実は否認する。四月二七日労務部長らは申請人を呼んでその就業規則違反の行為について事情を聴取したのである。申請人はこれに対し当初すべて記憶がないと称していたが、漸く就業規則違反の事実を認めるに至つた。(3)の事実中、苦情処理委員会組合側委員の言は不知、申請人の昇給に関する金額を争う外その余の事実は認める。当初の辞令による本給月額六千七百円、昇給額九百六十六円を本給月額六千九百五十円、昇給額千七百四十一円に改めたのである。(4)の事実は退職勧告の日時を争う外(六月二五日及び二七日の両日である。)、その余の事実はおおむね認める。この間の詳細は後述するところである。(5)、(6)、(7)の事実はすべて争う、要するに、本件懲戒解雇は申請人の就業規則第五十一条第四号違反を理由とするものであり、同人が共産主義者またはその同調者であるが故になされたものではない。したがつて、申請人のいうような憲法第十九条、民法第九十条、労働基準法第三条違反を云々する余地は全くないのである。三の(四)、(五)の事実についても争う。申請人は、本件経歴詐称は身を守り生活を維持していくためやむを得ず執つた措置である旨主張するが、かかる論が経歴詐称を正当化するものでないことは多言を要しないところである。また、後に詳述する本件経歴詐称の程度に照すと、五年半の勤務によるも経歴詐称の不信義性を打ち消すに足る労使の信頼関係が形成されたものとは到底認めがたい。したがつて、本件経歴詐称については考慮すべき情状は何ら認められないものである。四の事実は認める。五の事実の仮処分の必要性は争う。
なお、本件懲戒解雇の経緯及び申請人の経歴詐称の詳細は次のとおりである。即ち、
(一) 申請人は、昭和三二年一月二三日雇用期間を二カ月と定める臨時雇員として雇用され、同年三月、五月、七月にそれぞれ期間を更新した後、同年九月二一日社員として採用されたものである。被申請人会社においては毎年度初頭に採用する新卒者を除き、雇用期間を二カ月として雇用した臨時雇員の中から選考の上、社員を採用することとなつているが、申請人もそのうちの一人である。
(二) 而して、会社において臨時雇員から社員に採用するについては臨時雇員としての勤務中における考課と、臨時雇員として採用する際における選考結果とを綜合勘案して決定することとなつている。したがつて、会社における臨時雇員採用は臨時工採用につき世間に時折見られるような放漫なものとは異なり、殆んど正式社員採用の場合と同様の選考の上なされている。申請人の場合においても面接試験、身体検査、技能テストを受けてこれに合格し、雇用期間を二カ月とする臨時雇員として雇用され、その後前述のように雇傭期間を三回更新し、選考の上九月二一日社員に採用されたのである。
(三) ところで、申請人は臨時雇員として採用されるにあたり、次の如き職歴を記載した履歴書を会社に提出し、その記載どおり相違ない旨を述べた。
(1) 昭和一九年四月 青木製作所ニ入所
同二四年五月 右退職
(2) 同二四年五月 池上大塚工場ニ入社
同三一年四月 右退職
(3) 同三一年五月 西野製作所ニ入社
同三二年一月 右退職現在ニ至ル
而して、前述の本採用にあたつては、右履歴書の記載が真実に相違ないものとして、そのまま選考の資料とされた。
なお、本採用に際しては本人と会社との間に労働契約書を取り交すことになつており、申請人もこの手続をふんだが、右労働契約書には、「双方共に就業規則及び労働協約を遵守し各々その義務を誠実に履行する。」旨明記してある。
(四) ところが、昭和三七年四月四日申請人には会社就業規則第五十一条第十三号前段「会社施設(寮ヲ含ム)及ビソノ敷地内デ会社ノ許可ナク図書、印刷物、図画等ノ頒布モシクワ掲示ヲシタモノ又ハ集会、演説等ヲシタモノ」に該当する頒布行為があつたので、会社は、事実調査の上申請人を出勤停止一〇日間の懲戒処分に付し、申請人も所定の始末書を提出しこの処分に服したが、右事件における申請人の態度には不誠実なものが見受けられ、その前歴についても疑念が持たれたので申請人の前歴を調査したところ、本件経歴詐称の事実が判明したのである。
(五) 会社の調査の結果判明した申請人の経歴詐称の点は次のとおりである。
(1) 昭和一九年四月一日から六年七カ月に亘り日本鋼管株式会社鶴見造船所に機械工として勤務し、昭和二五年十月二八日いわゆるレッド・パージによつて解雇されたものであるのに、この事実を秘匿していた。
(2) 昭和二九年五月一月から同年六月一日まで一カ月間株式会社青木製作所に勤務していたにすぎないのに、昭和一九年四月から昭和二四年五月まで五年間勤務していたように事実を偽つた。
(3) 昭和二九年七月二十三日から昭和三一年五月六日まで一年十カ月佐伯精機株式会社に勤務していたにかかわらずこの事実を秘匿した。
(4) 昭和二四年五月から昭和三一年四月まで六年一一カ月池上大塚工場に勤務していたというが、その事実はない。池上大塚工場なる存在自体疑わしい。
(六) 申請人の右経歴詐称は、きわめて重大なものであつて、就業規則第五十一条第四号にいわゆる「経歴ソノ他人事調査事項ヲ詐ル等不正手段ニヨツテ入社シタモノ」に該当することはいうまでもなく、会社としても到底放置し得ないものであつたので、念のため申請人に事実を質したところ申請人もこれを認めたので責任をとつて任意退職するよう勧告したが、申請人がこれに応ずる様子を見せなかつたので、労働協約による人事委員会の協議を経た後、昭和三七年六月二九日平均賃金の三〇日分の予告手当二万一千九百六十円を提供して(但し、その受領は拒絶された。)申請人を懲戒解雇処分に付したのである。
なお、申請人は、会社からの右事実確認、退職勧告の過程において何ら反省ないし悔悟の態度もなく、経歴詐称をしなければ採用して貰えなかつたからであるとか、この詐称によつて会社に損害をかけたことはない筈であるとか述べているのであつて、何ら情状酌量の余地なきものである。」
と述べた。
(疎明省略)
理由
一、被申請人が肩書地に本店を置き、横浜市金沢区堀口百二十番地に工場を持つ従業員約千名の研磨機等の製造販売を目的とする株式会社であること、申請人は昭和三二年一月二三日被申請人会社に期間を二ケ月と定める臨時雇員(臨時工)として採用され、同年三月、五月、七月の各二二日にそれぞれ期間を更新された上、同年九月二一日右会社の社員(本工)に採用されたこと、被申請人は昭和三七年六月二九日申請人に対し、同人には会社就業規則第五一条第四号(経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの)に該当する行為があつたとして平均賃金の三〇日分の予告手当二万一千九百六十円を提供して懲戒解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない疏乙第四号証、第十号証の一、二、証人中村参蔵の証言により真正に成立したものと疏明される疏乙第六号証、第十五号証の一乃至三、証人中村参蔵の証言並びに申請人本人尋問の結果を綜合すると、申請人は昭和三十二年一月二十三日会社に臨時雇員として入社するに当り職歴として、
(1) 昭和一九年四月 青木製作所入所
同二四年五月 右退職
(2) 昭和二四年五月 池上大塚工場ニ入社
同三一年四月 右退職
(3) 昭和三一年五月 西野製作所ニ入社
同三二年一月 右退職現在ニ至ル
旨記載した履歴書を提出したが、右記載は(3)を除き他は全て虚偽で、真実は、
(イ) 昭和一九年四月一日 日本鋼管鶴見造船所入社
同二五年一〇月二八日 レッド・パージにより右解雇退職
(ロ) 昭和二九年五月一日 青木製作所入社
同年六月一日 右退職
(ハ) 昭和二九年七月二三日 佐伯精機入社
同三一年五月六日 右退職
というのであり、右(イ)の退職と(ロ)の入社との間は病気療養等で殆んど施盤工として稼働していないこと、右臨時雇員として入社にあたり会社に提出した履歴書は昭和三二年九月二一日申請人を社員に採用するにあたつても真実に相違ないものとして選考の資料とされた(そのため再度履歴書は徴されなかつた。)ことが疏明され(右(イ)、(ロ)、(ハ)の事実は当事者間に争いがない。)、他に右認定を覆えすに足る疏明資料はない。
二、そこで、右解雇の意思表示を無効とする申請人の主張につき順次検討するのに、まず申請人は、右履歴書は臨時雇員として採用される際に提出したもので、社員として採用される際に提出したものではなく、したがつて、社員として採用される際には何ら経歴詐称をした事実はない旨主張するが、前記疏明により認定したように、申請人の提出した履歴書は社員として採用される際にも選考の資料として用いられていることが明らかであるから、この点に関する申請人の主張は理由がない。
三、次に、申請人は、被申請人が申請人を本工として採用したのは八カ月に亘る臨時工の期間に確かめ得た申請人の技能経験に基づくのであつて、過去の職歴の如きは問題とされておらず、また申請人の経歴詐称が申請人の労働力に対する被申請人の評価を誤らせたとか、企業の運営に支障を与えたとかいう事実は全くないのであるから、申請人の入社は会社就業規則第五十一条第四号にいわゆる「経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの」には該当しない旨主張するが、使用者が労働者を採用するにあたつてはその労働者の技能経験ばかりでなく、その全人格、信頼性等をも顧慮して採用するのであり、したがつて、経歴調査も単に労働者の技能経験の調査資料のためばかりでなく、その労働者の職場に対する定着性、企業秩序、企業規範に対する適応性、その他協調性等人格調査の資料となし、もつて労使間の信頼関係の設定や企業秩序の維持安定に役立たせようとするものであるから、仮りに申請人の経歴詐称が申請人の技能経験に対する被申請人の評価を誤らせなかつたとしても、その人格判断を誤らせあるいは誤らせる危険を有するものであつたならば、これ又就業規則第五一条第四号にいわゆる「経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの」にあたるというべきところ、申請人の本件経歴詐称は前記のとおり、昭和一九年四月から昭和三一年四月に至る一二年間の長期に至る経歴詐称であり、而も六年七カ月に亘り勤務していた日本鋼管鶴見造船所をレッド・パージにより解雇されたことを秘匿していたのであるから(かりにそれが本当に当時申請人が生きるために被申請人会社に職を得るに止むをえない手段と自から判断してなしたことであつたとしたならば、かかる方法は誤であつてむしろ真実を明記して、入社の際の面接等の際パージ当時の自己の事情等を堂々と説明する等その他なんらか正当な手段により相手方を了解させるべきであつたであろう。)、前記疏明資料並びに弁論の全趣旨によると、右経歴詐称が申請人に対する被申請人の全人格的判断を大きく誤らせたことは明白であり、かつ申請人を社員として採用する時に申請人の真実の履歴が判明していたならば、被申請人は申請人を到底採用しなかつたであろうことが認められるから、申請人は就業規則第五一条第四号にいわゆる「経歴その他人事調査事項を詐る等不正手段によつて入社したもの」にあたるというべく、申請人のこの点に関する主張は採用の限りでない。
四、而して、申請人は更に、被申請人の本件解雇の真意は申請人が共産主義者もしくはその同調者であることにあり、経歴詐称というのはその口実にすぎないから、本件解雇は憲法第一四条、第一九条、労働基準法第三条に反し、無効である旨主張するのでこの点につき検討するのに、なるほど、当事者間に争いのない事実並びに成立に争いのない疏甲第一号証、疏乙第一号証乃至第三号証、第九号証、第一二号証、証人中村参蔵の証言により真正に成立したものと疏明される乙第一三号証、書面の形状および弁論の全趣旨により真正に成立したものと疏明される乙第十四号証の一、二、証人中村参蔵の証言及び申請人本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)を綜合すると、
(い) 申請人は、昭和三七年四月四日就業時間前に会社ロッカー室内において会社に無断で日本共産党日平細胞の発行する「火花」号外を数人の同僚の者に示したこと、
(ろ) ところが、その後このことを会社側が聞知したため、申請人は同年四月二七、八日頃労務課に呼ばれ、右事実について問い質された上、同月二八日就業規則第五〇条、第五一条違反として始末書を取られ、更に一〇日間の出勤停止処分を受けたこと、
(は) また、同年春の昇給に際しても、申請人は右懲戒処分を受けたため、平均よりかなり下廻る昇給しか認められなかつたが、会社と組合との協定によると同年春の昇給は昭和三六年三月二一日より昭和三七年三月二〇日までを考課期間としていたのであるから、右懲戒事件は本来なら勤怠成績の考課の外に置かれるべきであつたこと、
(に) 右懲戒事件が機縁となつて、会社側は申請人の前歴につき疑念を抱き始め、その前歴を調査したところ、前記経歴詐称の事実が判明し、本件懲戒解雇処分となつたこと、
が認められるが、同時に、右各疏明資料によると、申請人の右(い)の所為は、就業規則第五一条第一三号の「会社施設(寮ヲ含ム)及ビソノ敷地内デ会社ノ許可ナク図書、印刷物、図画等ノ頒布モシクワ掲示ヲシタモノ」には該当しないとしても同規則第五一条第一七号の「前各号ニ準ズル不都合ノ行為ヲシタモノ」に該当し、而も申請人が作成し、かつ頒布もしくは掲示類似行為をした右「火花」には、内容的にも昭和三七年度における会社の中卒者に対する募集賃金を九千五百円(真実は八千八百円)と記載するなど事実と相違する記事を載せていたことが疏明されるから、申請人が右所為のため就業規則第五〇条、第五一条違反として一〇日間の出勤停止処分に処せられたとしても致し方なく、特に右懲戒処分をもつて申請人が共産主義者もしくはその同調者であるためになされた不当な処分であるとは認めがたく(なお、右就業規則第五一条第一三号、第一七号の規定は被申請人の企業施設内の平穏を保護するため制定せられたもので、正当な管理権の行使と認められるから特に表現の自由および団結権を侵すものと解することはできない。)、また、昇給に際して被申請人がなした差別的取扱も、証人中村参蔵の証言によると、従来会社の慣行として昇給額決定までの間に懲戒事項があるとそれを昇給額決定の事情に加味していたため、申請人についても前記出勤停止処分を受けたことを考慮して平均額を相当下廻る昇給額を決定したが、申請人より右懲戒事項は考課期間後のことであるからこれを加味するのは不当である旨の苦情申立を受けるや、その非を認めて早速昇給額を修正増額し、平均額に近い額に直したことが疏明されるから、単なる取扱上の過誤というべく、特に申請人が共産主義者もしくはその同調者であるために故意的になされた不当な差別的取扱とは認めがたい。而して、その他申請人主張の諸事情も未だ本件懲戒解雇の決定的原因が経歴詐称になく、申請人が共産主義者もしくはその同調者たることにあると推認せしめるに足るものではなく、かえつて前顕疏乙第二号証の就業規則によると右第五一条第十七号違反の事実は一応懲戒解雇事由に該当するのに被申請人は申請人を懲戒解雇にせず、出勤停止処分に止めていることおよびその後に発覚した本件経歴詐称が長期に亘るきわめて重大なものであることを勘案すると、本件懲戒解雇の決定的原因は申請人が経歴詐称によつて入社したことにあると認められる。而して、申請人本人尋問の結果中、右疏明による認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他に申請人の前記主張を肯認せしめるに足る疏明資料はない。
よつて、申請人の憲法第一四条、第一九条、労働基準法第三条違反の主張は、その前提を欠き採用の限りでない。
五、なお、申請人は、労働者がレッド・パージを受けたことを使用者が採否決定の資料としてよいかどうか問題である旨主張するが、企業秩序の維持安定のため使用者がレッド・パージ者の雇入を拒否するかどうかは使用者の自由に決し得るところであり、職業安定法第三条はもとより労働基準法第二二条第三項もかかる使用者の雇入の自由まで封ずるものではないから、申請人の経歴詐称が日本鋼管鶴見造船所をレッド・パージにより解雇されたことを秘匿するためのものであつたとしても特にその不信義性を阻却するものではなく、被申請人が申請人のレッド・パージを秘匿した点をも含めて前記経歴詐称により申請人を懲戒解雇にしたとしても何ら不当であるとは認められない。
六、而して、申請人はさらに、本件懲戒解雇は重きに失し、懲戒処分としての客観的妥当性を失つているから無効である旨主張するので最後にこの点につき検討するのに、申請人主張の如く本件経歴詐称が生活を維持していくためやむを得ずなされたものであつたにしても、本件経歴詐称が前記のとおり一二年に亘る長期のもので、被申請人の職歴調査の目的を全くかなえさせていないことを考えると被申請人がこれを理由に解雇をしても致し方のないところと認められるし、申請人が入社後臨時雇員並びに社員として五年半に亘り真面目に勤務し、会社の生産性向上に寄与してきたことも本件経歴詐称の重大性と対照すると、未だ右経歴詐称の不信義性を打ち消して新たに労使間の信頼関係を設定するに足るだけの有力なものとは認めがたく、また企業秩序の統制上からも申請人をこのまま企業内に存置することはきわめて困難であると認められるから、右事情も就業規則第五一条但書の情状軽減事由に該当するとは認められない。なお、仮りに被申請人が組合との協定の一部を履行していない事実があつてもこのことは被申請人の懲戒権を制肘するものではない。
以上のとおりであるから、申請人の経歴詐称を理由とする被申請人の本件懲戒解雇処分は何ら過重でなく、客観的妥当性を失つていないものと認めるのが相当である。
七、してみると、申請人の本件懲戒解雇が無効であるとの主張は全て理由がなく、本件解雇は有効であるから、その無効を前提とする本件仮処分申請は保全の必要性の点を判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 久利馨 若尾元 早川義郎)